~仕事をダラダラやったり、サボってしまう~
子供の頃は、砂山を作って遊びます。一粒はとても小さなもの。
小さい粒の塊が集まると大きな山になります。
よく仕事で毎日の積み重ねが大事だと言います。
小さい目標が子供の砂山で、とても大きい目標が富士山だとすれば目標となる大きさに必要なだけ重ねないとその大きさになりませんよね。
仕事をする上でも生きていく上でも少し残念なことがあります。それは目標がないときです。
何か目標とする欲がなければやる気が出ないんじゃないかと思うんです。
目標がないというのは、無意識のうちに積み重ねるということを面倒だと感じているのかもしれません。
給料が決まっていて、生活するには十分なお金を貰っている場合は、目標がないとやる気がでません。
この話はあくまで私の過去の話なんですが、仕事を頑張ろうが頑張らなかろうが給料一緒だったら、適当にサボればいいじゃんって思っていました。
やればやるだけ損に思っていて、
ダラダラとやってしまって、本当にやらなければならない最低限だけどうにか仕事して、、。
「仕事が楽しくないんですよ」 って思ってました。
大して給料が良いわけでもないのに、こき使いやがってなんて思ってました。
これって労働基準法に違反しているし、ブラック企業じゃないのかとか思っていました。
今の若い人は欲がないっていいます。今の若い者はダメだってのもよく言われてます。
車は買わないし、彼女も作らない。
若い一般世代として思うことは、勿論これはただ欲がないだけってことではありません。
車を持つにはお金がかかります。彼女が出来てもお金がかかります。
今の景気問題のネガティブな話をずっと聞くと、金のかかることは極力避けたいと考えます。
景気悪くしたん俺じゃねえよって。買おうと思えばどうにか買えるけど、仕事なくなったらどうすんだって思ってました。
景気良けりゃ車買ったり、物買ったり皆いろいろ金使ってるよって。
いつ仕事なくなるか分からない危機的状況なのに、仕事は適当にしていたというおかしな話です。
全部誰かの責任だと思って文句ばっかり言っていました。勿論、こうなってしまった多くの責任がある人もいるかもしれません。
でもそれを言っても働かなくていい理由にはなりません。
暗い話を聞きすぎて心が暗くなってたんじゃないかと今では思います。
だらだらと不満持って仕事をやるとコミュニケーションもうまく取れないように思います。
こういうときっていうのは大抵考え方がおかしいんです。
自分の考え方がおかしいってのに、気付いていないと今では思うんですよ。自覚が足りなかったんです。
自分だけが特別辛いとか思ってたんですが、そうではなくて自分で余計に辛いものにしていたんです。
手を抜いてるのをばれないように頑張っていたように思いますが、凄く無駄なことをしていたんだと思います。
そんなことを頑張るくらいなら、普通に仕事を頑張った方がどう考えても良いことです。
会社の景気が良くならないのに、個人の収入を増やすことは出来ません。
若さゆえの何とかって話で、社会というものを知らなさ過ぎてずっと不満を抱えていました。
暗いことばっか考えて自分を苦しめ、胃潰瘍になったり、逆流性食道炎になったりしました。
凄く暗い話ばっかりしました。すみません。なんでこんな話をしたのかというと、こんなことであれば大抵は考え方を変えると凄く良くなるんです。
どうせやらなければならないことであれば、楽しくやりたいと思うのが普通ですよね。
”どうすれば楽しいのか”こういう考え方を知ってみる必要があるのではないでしょうか。
目標があって楽しく生きることが出来たら毎日積み重ねていけばいいだけです。
大きくなればなるほど、バランスが必要になってきます。崩すつもりはなくとも崩れる場合もあり得ます。
そこで崩れにくい積み重ね方を学べば大丈夫です。起こってもいない不安を考えすぎると病気になってしまいます。
諦めない限り何度でも積み重ねることが出来ます。
積み重ねれば積み重ねるほど、積み重ねるという作業が上手になってきます。
もしも、全部が崩れるようなことがあったとしても、崩れないものもあると思います。それは積み重ねてきたという経験です。
仮に崩れてしまった場合でも、積み重ね始めた当時より、崩れた今のほうがきっと上手に積み重ねることが出来るはずです。
積み重ねる前から崩れることを恐れて砂山を作る子供はあまりいないでしょう。
それは積み重ねることが楽しくて夢中だからです。崩れても積み重ねる過程も楽しめますから毎日砂山を作ることが出来ます。
大きな塊にしたいのであれば、今ある小さなことを大事に積み重ねましょう。1億円は一億円札ではありませんよね。
小さなものの積み重ねが大きく見せているのです。誰もが学ぶことで、胃を痛めたりすることも少なくなり、気を病むことも少なくなると今では強く思います。
学ぶことで全ての人に目標達成できる可能性があると信じております。
子供の頃は、砂山を作って遊びます。一粒はとても小さなもの。
小さい粒の塊が集まると大きな山になります。
よく仕事で毎日の積み重ねが大事だと言います。
小さい目標が子供の砂山で、とても大きい目標が富士山だとすれば目標となる大きさに必要なだけ重ねないとその大きさになりませんよね。
仕事をする上でも生きていく上でも少し残念なことがあります。それは目標がないときです。
何か目標とする欲がなければやる気が出ないんじゃないかと思うんです。
目標がないというのは、無意識のうちに積み重ねるということを面倒だと感じているのかもしれません。
給料が決まっていて、生活するには十分なお金を貰っている場合は、目標がないとやる気がでません。
この話はあくまで私の過去の話なんですが、仕事を頑張ろうが頑張らなかろうが給料一緒だったら、適当にサボればいいじゃんって思っていました。
やればやるだけ損に思っていて、
ダラダラとやってしまって、本当にやらなければならない最低限だけどうにか仕事して、、。
「仕事が楽しくないんですよ」 って思ってました。
大して給料が良いわけでもないのに、こき使いやがってなんて思ってました。
これって労働基準法に違反しているし、ブラック企業じゃないのかとか思っていました。
今の若い人は欲がないっていいます。今の若い者はダメだってのもよく言われてます。
車は買わないし、彼女も作らない。
若い一般世代として思うことは、勿論これはただ欲がないだけってことではありません。
車を持つにはお金がかかります。彼女が出来てもお金がかかります。
今の景気問題のネガティブな話をずっと聞くと、金のかかることは極力避けたいと考えます。
景気悪くしたん俺じゃねえよって。買おうと思えばどうにか買えるけど、仕事なくなったらどうすんだって思ってました。
景気良けりゃ車買ったり、物買ったり皆いろいろ金使ってるよって。
いつ仕事なくなるか分からない危機的状況なのに、仕事は適当にしていたというおかしな話です。
全部誰かの責任だと思って文句ばっかり言っていました。勿論、こうなってしまった多くの責任がある人もいるかもしれません。
でもそれを言っても働かなくていい理由にはなりません。
暗い話を聞きすぎて心が暗くなってたんじゃないかと今では思います。
だらだらと不満持って仕事をやるとコミュニケーションもうまく取れないように思います。
こういうときっていうのは大抵考え方がおかしいんです。
自分の考え方がおかしいってのに、気付いていないと今では思うんですよ。自覚が足りなかったんです。
自分だけが特別辛いとか思ってたんですが、そうではなくて自分で余計に辛いものにしていたんです。
手を抜いてるのをばれないように頑張っていたように思いますが、凄く無駄なことをしていたんだと思います。
そんなことを頑張るくらいなら、普通に仕事を頑張った方がどう考えても良いことです。
会社の景気が良くならないのに、個人の収入を増やすことは出来ません。
若さゆえの何とかって話で、社会というものを知らなさ過ぎてずっと不満を抱えていました。
暗いことばっか考えて自分を苦しめ、胃潰瘍になったり、逆流性食道炎になったりしました。
凄く暗い話ばっかりしました。すみません。なんでこんな話をしたのかというと、こんなことであれば大抵は考え方を変えると凄く良くなるんです。
どうせやらなければならないことであれば、楽しくやりたいと思うのが普通ですよね。
”どうすれば楽しいのか”こういう考え方を知ってみる必要があるのではないでしょうか。
目標があって楽しく生きることが出来たら毎日積み重ねていけばいいだけです。
大きくなればなるほど、バランスが必要になってきます。崩すつもりはなくとも崩れる場合もあり得ます。
そこで崩れにくい積み重ね方を学べば大丈夫です。起こってもいない不安を考えすぎると病気になってしまいます。
諦めない限り何度でも積み重ねることが出来ます。
積み重ねれば積み重ねるほど、積み重ねるという作業が上手になってきます。
もしも、全部が崩れるようなことがあったとしても、崩れないものもあると思います。それは積み重ねてきたという経験です。
仮に崩れてしまった場合でも、積み重ね始めた当時より、崩れた今のほうがきっと上手に積み重ねることが出来るはずです。
積み重ねる前から崩れることを恐れて砂山を作る子供はあまりいないでしょう。
それは積み重ねることが楽しくて夢中だからです。崩れても積み重ねる過程も楽しめますから毎日砂山を作ることが出来ます。
大きな塊にしたいのであれば、今ある小さなことを大事に積み重ねましょう。1億円は一億円札ではありませんよね。
小さなものの積み重ねが大きく見せているのです。誰もが学ぶことで、胃を痛めたりすることも少なくなり、気を病むことも少なくなると今では強く思います。
学ぶことで全ての人に目標達成できる可能性があると信じております。